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インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国
Indiana Jones and the Kingdom of the Crystal Skull
公開 2008年6月21日 (日本)
監督 スティーヴン・スピルバーグ
脚本 デヴィッド・コープ
出演 ハリソン・フォード、カレン・アレン


【鑑賞前】期待:☆☆☆☆☆

僕はインディージョーンズシリーズが大好きなんだけど、
このシリーズが何本くらい出ているのか知らなかった。

『レイダース/失われたアーク《聖櫃》』
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』
『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』
『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』

たった4作品しか作ってないんだね・・・

もっとたくさん作られているのかと思ってた。

このシリーズの映画は、何度もテレビで見たのだけど、
自分が見たことあるのがどれなのか、さっぱり覚えていない。

今回借りた映画も、見たことあったりして…


【鑑賞後】評価:☆☆

なんだろう、この物足りなさは。

僕が好きだったインディーじゃない。

これは主演のハリソン・フォードが老けたからということではなく、
ストーリーの展開が遅かったからじゃないかと思ってしまった。

インディー・ジョーンズといえば、ジェットコースターに乗ったように
次から次へと目まぐるしく事件が起こって、
インディーがその場しのぎで難局を乗り越えていく姿に
ドキドキワクワクしたものだったが、
この4作品目の映画は展開が遅すぎるように感じてしまった。

インディーと息子との会話シーンも無駄に長いように感じてしまう。
映画を見ながら「ちょっとしゃべりすぎじゃない?」と
思ってしまった。

アクションシーンはもちろん詰まらなくはなかったんだけど、
インディーが古代文字を解読したり、
古代の人が仕掛けたトラップをかわしながら先に進む感じが、
この映画では弱かったような気がする。

「インディーVS古代人」というより「インディーVS現代人」みたいなところが
多すぎて、ロマンが無く、残念な印象だった。

さようなら、インディー。

もう続編は作らなくていいです。


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ヤギと男と男と壁と

ヤギと男と男と壁と
The Men Who Stare at Goats
公開 2010年8月14日(日本)
監督 グラント・ヘスロヴ
脚本 ピーター・ストローハン
出演者 ジョージ・クルーニー、ユアン・マクレガー



【鑑賞前】期待:☆☆

最近、DVDをレンタルする時に感じているのだが、
どうして僕は「期待」していない映画を借りてしまうのだろうか。

この映画も5段階評価で半分以下の期待しかしていないのに、
100円払って借りてしまった。

どちらかというと「面白くなさそう」と思いながら借りているのである。

お馬鹿である。

でも、映画は見てみないと面白いかどうかなんてわからない。
ジャケットに書かれたストーリーなんて当てにならないのだ。

僕は僕自身の先入観が当てにならないことを知っているから、
うわべでは「詰まらなさそう」と思っているけど、
そんな僕を裏切ってくれるんじゃなかろうかという、
期待は大いに持っているのだ。

こういう期待のことを「裏期待値」と名づけよう。

「見た目はイケてないけど、
実は付き合ってみるとかなりいい子なんじゃないの!」的な期待値だ。

そんなわけでこの映画の裏期待値は、
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆←これくらい上げちゃおう。


【鑑賞後】評価:☆☆☆

そんなに悪くなかったね、なかなかいい子だった。

けど、ラストがよく意味がわからなくて、残念だったな。

待ち合わせから食事、その後、映画へと行き、
さあ本番というところで、すっぽかされたような気分だ。

ん?


そんなわけで、冷戦時代にアメリカ軍の中で
超能力部隊というのが実際にあったようで、
イギリスのジャーナリストがその頃の様子を取材し出版した本が原作とのこと。

超能力部隊なんて僕みたいな一般人からしたら、
「なに馬鹿なことやってんの?」っていう感じなんだけど、
敵対する国が超能力の研究を始めたなんて情報が入ったら、
自分の国も研究せざるをえなくなるんだろうね。

いくら「馬鹿げた事」とはいっても、
もし、この研究でなんらかの成果が出てしまったら脅威だし、
敵国で成果が出てから研究を始めても手遅れだ。

冷戦時代のアメリカとソ連の激しい競争の末に生まれたのが、
このなんとも馬鹿馬鹿しい「超能力部隊」というわけだ。


ラストシーンは、戦場の最前線で、
敵を殲滅するために超能力部隊全員で
踊ったりしてくれたら面白かったな。
全裸で敵を呪い殺す踊りを踊る。

で、最後は爆弾でみんな吹き飛ぶという話。

これなら☆は5つだったかも!?


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不作の時代

いま、やっていることがある。

それは、私的「映画100選」を作るということだ。
いままで僕が見た映画で、
「もう一度見たい」とか「人に紹介したい」と思う映画を
100選んでこのブログで発表したいと思っている。

でも、これがなかなか大変で、
まだ61しか選べていない。

あと39も映画を選べるのか・・・

映画はそれなりに見てきたつもりだったが、
100もお気に入りの映画を選ぶとなるとなかなか大変で、
ほかの人が選んだ100選を見ながら自分のお気に入りを抽出したり、
監督名で検索して、記憶を頼りに好きな映画を集めているところだ。


そんな作業をしていて思うことがあった。

それは、自分が選ぶ映画は、1990年代に作られた映画が多いということだ。
僕が映画を一生懸命見ていた年代なので当然なのかもしれない。

でも、この頃に作られた映画は名作が多かったのではないだろうか?
という気がしてならない。

ワインと同じように名作がたくさん生まれる年代が、
映画にもあるんじゃないだろうか?
ワインなら気候に大きく左右されるから、
不作や豊作でワインの出来、不出来が左右されるのはわかるのだが、
映画もなにかに左右されて、出来、不出来が決まるのではないだろうか。


例えばだが、一人の才能あふれる監督が登場し、
誰もが認めるような名作を作ったとする。
するとそれに刺激を受けたほかの監督が、
「もっとすごい作品を作ってやろう」といつも以上に感性と脳みそを使い、
作品を全力で作る。

そして、全力で作られた作品を見て、
またほかの監督が刺激を受け、いつも以上に切磋琢磨するのだ。

それぞれの監督がお互いを刺激し、良作を作るものだから、
どんどん作品は良くなっていってインフレスパイラル(?)に入る。

全ての作品のレベルが上がっていくのだ。


逆に不作ばかりの映画が生まれる時もある。

つまらない映画を作ったのに、
素人の観客が宣伝にだまされて映画館に足を運ぶ。
興行的には成功するものだから、
プロデューサーたちは、このドル箱映画を絶賛する。

それを聞いたクリエイター達(監督、脚本、役者)は、
「こんなもんでいいのか?」と思ってしまい、
どうやれば、観客を騙せるキャッチーな映画を作ることが出来るのか、
市場を眺めながら売れ線を探し始める。

本人達が「作りたい」とか「世に生み出したい」というような情熱ではなく、
「お金を稼ぎたい」ということに情熱がそそがれ、
出来る限り「安い」「早い」「まずくない」作品が量産される。

「まずくない」映画は「うまくもない」。

そんな映画が世の中にあふれ出すとデフレスパイラルに入ったなと思う。


友人の何人かにバンドをやっていた子達がいて、
彼らがよく口にしていた言葉があった。
それは「いまの売れ線は・・・」ということだ。

気分で金髪にしたり、刺青を入れるようなやつらなのに、
ギターを握ると急に守銭奴のように現実的になり、
ステージから観客の顔色をうかがい始める。

そして自分達もなにがしら世の中の流れに乗るために
想いのこもっていない音楽をかっこつけて奏でるのだ。

現実世界ではいかにも「バンドマンですから」という理由を武器に
まじめに働かなかったり、反社会的な行動をとる割には、
ステージの上ではお行儀が良かったのである。

そして彼らはみんな「バンド活動」という名の「経済活動」を
次第にやめていき、もっと現実的にお金を稼ぐことが出来ることを
目指すようになった。


「芸術」という言葉がある。

僕はたまにブログで書いたりしている言葉だけども、
この言葉の意味をはっきりと理解しているわけではない。
でも、「芸術」という言葉はとても重要だと思っている。

「芸術」というのは「個人が、自分の考える美を追求すること」だと
僕は思っているのだが、
「美」を追求するときは、自分なりの「美」がないと追求できない。
つまり、自分の中にこういう作品を作りたいという理想像が存在しなければ、
それを現実世界に生み出したいという情熱も生まれないのだ。

だからクリエイターは、二つの作業をしなければならない。
まず第一は、「自分の理想像を頭の中で空想すること」。
第二は、「理想像を現実に作り出すこと。表現すること」。

例えば、素人の役者は笑う演技が下手な人が多い。
心から笑わなければいけないシーンで、
愛想笑いのようにしか笑えない。

この役者が心から笑う演技をしたいと思ったとする。
まず初めにやることは本気で笑っている人の表情を観察したり、
先輩役者の笑い方を観察したりして「こういう笑い方をしたい」という
自分の理想像を作り出すことだ。
これは、「自分の理想像を空想すること」にあたる。

そして鏡の前で何度も笑う練習するのだ。
自分の顔の筋肉の動きを意識し、
声の大きさや高低をいろいろ変えて試行錯誤しながら、
「心から笑う」を身に着けていく。
これは、「理想像を現実に作り出す」ということだ。

「芸術」が洗練されていくためには、
この過程をたどるしかない。
努力無しには「美」など生まれないのだ。
また「美」は個人によって異なるし、
個人の研ぎ澄まされた「美」は他人の心を動かすことができる。

僕はそう考える。


今の時代はあまりにも「お金儲け」という価値が強すぎて
いい映画が生まれない時代ではないだろうか?
プロではないクリエイターたちでさえ、
どうやってお金を稼ぐかということを優先的に考えながら、
表現を磨いている。

でも、本当に大切なことは、
「自分の理想像を作ること」と「理想像を実現すること」だと
僕は思っているのだけれど、
自分に向き合うよりも周りの顔をうかがいながら表現する人が
あまりにも多すぎて、これじゃあ名作は生まれないなって思うことがある。

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ソーシャル・ネットワーク

ソーシャル・ネットワーク
The Social Network
公開 2011年1月15日(日本)
監督 デヴィッド・フィンチャー
脚本 アーロン・ソーキン
原作 ベン・メズリック
出演者 ジェシー・アイゼンバーグ、アンドリュー・ガーフィールド



【鑑賞前】期待:☆☆☆

フェイスブックを作った若者のお話。

日本ではSNSといえばmixiが有名だね。

うん。

さりげなくSNSなんて使っちゃったけど、
本当はよくわからないので調べてみた。

「ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)とは、
 社会的ネットワークをインターネット上で構築するサービスの事である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%93%E3%82%B9

だそうです。

監督がデヴィッド・フィンチャーで少し前にレンタルした
『ベンジャミン・バトン』の監督もしている。
『ベンジャミン・バトン』が詰まらなかっただけに、
期待していいものかどうか。。。


【鑑賞後】評価:☆☆

こういうストーリーはNHKのドキュメンタリーで流せばいいと思う。

つまり、わざわざ映画にする必要はない。

フェイスブックに興味があるか、
億万長者に憧れる人が見る程度の内容しかない映画である。

映画が芸術と情報の二側面があるとしたら、
この映画は99%が「情報」であって、
芸術性というものはほとんど存在しない。

だから純粋な「情報」メディアのテレビで流したほうがいいでしょって
言いたいわけだ。

SNSにも億万長者にも興味がない僕が見るべきではなかった。


唯一、評価するところがあるとすれば、
主人公の人物設定だ。

主人公はフェイスブックを作った男だが、
クリエイティブな仕事をする人間というのは、
常識ではなく自分の衝動で動く傾向にあるので、
他人からは変人に見られることが多い。

そして、こういった人間は、常識に囚われた人間とあまり話が通じず、
同じクリエイティブな人間とは大いに気が合うのだ。

主人公があの男に惹かれる理由はよくわかる。


だからといってこの映画が優れたものだとは思わない。

たぶんフェイスブックを利用している会員数が多いので、
フェイスブックに関わる映画を制作すれば、
たくさんの人が見てくれるに違いないというマーケティングを根拠に
この映画は制作された。

映画を使って儲けることが悪だとは一ミリも思わないけど、
「マーケティング」を使って映画を制作する事で、
「映画ってつまらないね」って思う人が増えることが何より悲しいから、
せめて中身のある映画を作って欲しいと僕は思うのだ。

フジテレビの『踊る大捜査線』シリーズもそうだが、
宣伝だけ派手で、中身は幼稚園児の空想みたいなものは勘弁してほしい。


映画は見てみないと面白いかどうかはわからない。
けれど、見るためにはお金を払わなければならず、
お金を払えば、映画の興行成績として反映されてしまうのだ。

興行成績は映画を見る前の「期待」を反映しているだけで、
映画が本当に面白いかどうかを反映したものではない。


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ファンシイダンス

ファンシイダンス
公開 1989年12月23日 
監督 周防正行
脚本 周防正行
原作 岡野玲子
出演者 本木雅弘、鈴木保奈美



【鑑賞前】期待:☆☆☆☆

監督は『Shall we ダンス?』で有名な周防さん。

原作は『陰陽師』で有名な岡本さん。

つ、つまらないはずがない。

なんかお坊さんのお話らしいんだけど、
前に見たような気もする。

でも、覚えてないから大丈夫だ。


【鑑賞後】評価:☆☆☆☆

朝、出勤のためいつも通りの道を通っていたら、
タヌキが車に轢かれて死んでいた。

タヌキは頭から血を流し、
道路の半分をふさぐほどぐったりと伸びて、
ピクリとも動かなかった。

登校途中の中学生がタヌキの死骸を避けながら、
それでいてガン見しながら学校へ向かっていく。

僕はタヌキの死骸を見ながら、
「朝からいやなもの見ちゃったなぁ」
「市役所の人が片付けてくれるんだろうか?」などと、
仏教徒のくせに慈悲の欠片もないようなことを考えていた。


この映画が作られたのはおそらくバブルの真っ只中。
日本全体がイケイケでみんなバカスカ金を使い、
資源を浪費していた時代だ。
そんな時代にアンチテーゼとして作られた作品だろう。

この映画はイケイケの若者が親の家業(お寺)を継ぐため、
地方の山寺へ修行に出かけるというお話だ。

主人公はお寺の儀式がオシャレな感じがして惹かれていくのだが、
結局は就職活動の一環みたいなものだった。
早く山を降りて恋人に会いたいと本心では思っている。

一緒に修行する仲間たちも、
「起床→座禅→粗食→睡眠」
という生活の中で「悟り」を啓こうなどと考える者はおらず、
うんざりしながらも、お寺を継ぐためだけに頑張っているのだ。
当然、お寺の住職も修行僧には偉そうだけど煩悩が垣間見える。

主人公の修行仲間が言った、「お前の親父、住職なんだろ?
本当に悟っているのか?」というセリフがとても面白かった。
「葬式仏教」に悟りは必要ない。


周防監督のユーモアが光る作品で、
たくさん笑えるように作られている。
ところどころ小津安二郎監督の『お早よう』を想起させるシーンもあった。

周防監督は僕にとって日本映画界最高のエンターテナーで、
僕が映画に必要だと思っている「テーマ」「ユーモア」「品性」の
全エッセンスを備えた作品を作ることができる稀有な存在だ。

しかし、この作品は監督の2作目ということもあったせいか、
「テーマ」が弱いのだ。

主人公が仏教の「修行」を積んで、どう変わったのかよくわからなかった。
主人公の中で芽生えるものはあったのだろうか?
映画を見ている感じだと主人公はあまり変わっていないように思う。
そこがテーマになったはずなのに。

『シコふんじゃった』は周防監督の3作品目で、
この作品の次に作られたものだと思うのだが、
舞台は違うもののストーリーはよく似ていて、
イケイケの若者がしぶしぶ相撲部に入るという話しなのだが、
ラストで主人公は自主的に相撲部に残るという決断をする。

『ファンシイダンス』では主人公は自主的に残ったわけではない。
この違いはとても大きい。

周防監督自身も『ファンシイダンス』を作り終えたときに
ラストの欠陥に気づき、次の映画では改善したのではないだろうか。

『Shall we ダンス?』では更に素敵なラストを用意している。

映画にとってラストをどうやって描くかというのはとても難しいことなのだ。

一番簡単なラストは主人公に死んでもらえばいいわけだが、
こういうラストが合わない作品もあるわけで、
主人公の人生の一部分を切り取って映画にし、
その後の人生は観客の想像にお任せしますといった終わり方が一般的だ。
しかし、どこで切り取るかは作者のセンスが大きく問われる。

僕の近所で死んだあのタヌキも、
タヌキの一生の中で素敵なところを切り取れば、
ナイスな映画になったことだろう。

僕にとってあのタヌキは、バッドエンドだったけど。


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