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【雑感】コツコツ

職場にタバコを忘れてきた。

家に帰ってから気づいたのだが、
どうしてもタバコを吸いたくなったから、
寒い中を近くの自動販売機へ買いに行った。

家に戻ってタバコの封を開け、咥えてみたのだが、
今度はライターがないことに気がついた。

ライターがなければ吸えないから、
余ったライターを入れていた引き出しを開けてみたが空っぽだ。

そういえば、ライターなんてたくさん持っていても仕方がないからと捨てたのだ。

じゃあ最後の手段だと、台所のコンロでタバコに火をつけようと思ったら、
コンロさえない。

そういえば今朝、粗大ゴミで捨てたばかりだった。
それくらい引っ越しに備え、部屋は片付いてきた。


ゴミを捨て始めたときは、このゴミ屋敷が本当にきれいになるのか疑心暗鬼だったが、
引っ越しを間近に控え、よくここまでゴミを減らしたなと思う。
自分で自分を褒めちぎってあげたいくらいだ。

一時は山のようにそびえるゴミの前で何もできずに呆然とする自分がいた。
押入れを開けるたびに処分の仕方がわからないゴミがあふれ出てきて、
あわてて襖を閉めたものだ。

酒を飲みながら映画でも見れば、ゴミのことを忘れることができたのだが、
酔いがさめれば、結局、なにも変わっていない現状を前に絶望するのである。
問題に目をつむり、何もしなかったせいで、
もっとも貴重な「時間」を浪費してしまったことにも。


目の前になにか問題があるときは、見ないようにするのではなく、
じっくりと観察し、問題の本質を分析しようとしなければならない。

僕はゴミの山に手を突っ込み、一つ一つ取り出してはノートに書き出し、
ゴミの処分の仕方を市のホームページで調べ、
少しでもいいから毎日、ゴミを捨てていった。

初めのうちは、ゴミがまったく減っていないような気がするのだが、
少しずつでもこまめにやっていくと、だんだん成果が目で見えるようになる。
コツコツを繰り返した僕の部屋はいま、見晴らしが良くなった。
ゴミの山が消えたことで、視界が広がり、富士山が見えるようになった。

そんな気分だ。


生きていれば、目の前に越えられないような問題がそびえたつことがあるが、
コツコツとできることをやっていくしかない。

一度に問題を解決してやろうと思ってしまうことは、
自分で自分のハードルを高くしてしまうことになる。

自分で高くしておいて、自分でビビッてしまうなんて馬鹿みたいじゃないか。

まずは自分が何で悩んでいるのかはっきりとさせ、
解決方法をたくさん考えてみる。
そして、できそうな事を実行してみることが大切だ。

目の前の小さなゴミをゴミ箱に捨てることから始めるべきだ。


「こんな小さな作業を繰り返していたのではなにも解決しない」

それくらい問題が大きすぎる時でも、
ただ悩んでいるよりも、無意味に思えるような行為をしていたほうがマシである。

「悩む」なんてことは、何もしていないのと変わらないのである。

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【雑感】本当は怖い「ゴミの日」の話

最近、引っ越しに関する話ばかり書いているようで申し訳ないのだが、
僕がいま最も関心があり、一生懸命、頭を使っていることは、
「引っ越しを無事に遂行すること」だけなので、
映画ブログのくせに映画に関係のない記事ばかりでたいへん恐縮だ。


で、今日も「引っ越し」についてである(笑)。


引っ越しの日まで残り10日ほどだ。

10日もあれば、一人暮らしの引っ越しは楽勝でしょ!という人もいるのだが、
それは、引っ越しにかかる費用を気にしていない人の発言だ。

引っ越しは当然、業者に依頼するわけだが、
荷物は少ないほうが安くなる。
だから引っ越し先へ持っていく必要のない物は、
引っ越し前に捨ててしまったほうが良いのだ。

ゴミを輸送するためにお金を払うなんて馬鹿馬鹿しい。

そんなわけで僕は毎日、市の「ごみカレンダー」を眺めながら、
明日は何が捨てられるのかチェックしている。


最近では、どこの市でも「ゴミの分別」がうるさい。

僕の住んでいるところでは、ゴミ袋は有料であり、
ゴミの分別方法は市のホームページを見ると、
細かく分類されているのがわかる。

世の中にある製品すべての捨て方が、
市のホームページに載っていて、
僕はそれを確認しながらゴミを分類しているのだ。


そして、明日が最後の「不燃ごみの日」なのである。

不燃ごみは捨てる人が少ないせいか隔週での回収となっており、
可燃ごみは週に二回捨てられるのに、
不燃ごみはひと月に二回しか捨てられないのだ。

しかも、「不燃ごみ」というジャンルは幅広く、
例えば、長靴、食器、電気ヒゲソリ、おもちゃなど、
分別しづらく、小さいもの(粗大ゴミではないもの)が、
「不燃ごみ」にあたる。

「その他」みたいな領域だ。


だから僕は明日が怖い。

「もし、分別を間違えて、『不燃ごみ』ではないものを袋に入れてしまって、
 回収してもらえなかったら、どうしよう」

なんたって明日持って行ってもらいたい不燃ごみは、
40リットルの袋が4つほどあるからだ。

そんなにたくさんのゴミを田舎へ持って帰れば、両親から、
「できない息子を持ったものだ」と
あきれられるに違いない。

「東京で、金を稼ぐ技能も獲得せずに、ゴミばかり持ってきたよ」と
近所の人に触れ回るに違いない。

それじゃ、駄目だ。

僕の中で引っ越しの成否を分ける戦は明日だと思っている。


僕がこんなにゴミを回収してもらえるかどうか怖れるには理由がある。

過去に可燃ごみを捨てたとき、僕が出したゴミだけまったく回収してもらえない時があったからだ。

出勤前に出したゴミが、帰宅したときにも残っていた。

僕は何が駄目だったのかゴミ袋を開封して確認するのだが、
なかなか原因がつかめない。

ある時は、可燃ごみの中からペットボトルが出てきて、
「ああ、こいつが原因か」と抜き取り、次のゴミの日に捨てたのだが、
この時も回収してもらえなかった。

回収してもらえなかった理由がわからず、
またゴミ袋を開いて中身を確認するのだが、
そのとき、発見できたのが「安全ピン」1つなのだ。

ま、まさか、これに気づいて回収してもらえなかったわけじゃないよな・・・

ゴミを収集する人がどんなけプロなんだろうかという疑念に襲われながらも、
僕は安全ピンを取り出して、次のゴミの日に出したわけだが、
また残っていたのだ・・・ 

僕は怒りにかられて、市役所に電話してやろうと思ったのだが、
小市民で意気地がないから、別の方法がないか考えた。

そ、そうだ!ゴミ袋に入っているゴミが何なのかわからないようにすればいい!

有料のゴミ袋を二重にして、何が入っているか確認しづらいようにする。
中身が見えにくくなるし、有料のゴミ袋が二枚使用してあるということで、
プロのゴミ収集員は同情して、回収してくれるかもしれない。

僕は天才的なひらめきでこれを実行し、
見事、ゴミは回収されたのである。

嘘のような本当の話である。


きっとゴミの分別がうるさくなり始めたときだったので、
ゴミ収集する人は厳しくチェックしていたのかもしれない。

いまは出したゴミが残っていることはないので、
昔より基準が甘くなっているような気もする。
(有料のゴミ袋も昔より安くなった)


そんなわけで、どうして僕のゴミだけ回収してくれなかったのか、
いまだにわからないのだが、たまにこんな妄想に襲われる。


僕がゴミを出した後、ゴミは歩いて公園に行くのだ。

人目もはばからず、テクテクと僕が出したゴミは公園へ向かい、
砂場で放し飼いの犬と遊び、お年寄りとベンチで日常会話を交わしたあと、
ゴミ捨て場に戻ってくる。

さも、ずっとここに居ましたよ、といわんばかりの顔で、
仕事から帰ってきた僕を驚かすのだ。

ごみ収集が来ている時に公園で遊んでいれば、
回収してもらえるわけがないのである。


ゴミを縄で繋いでおいたほうが良いのではないかと、
本気で考えていた時があった。



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【雑感】自分貝塚

モースが大森貝塚を発掘調査したのは1877年だ。

貝塚は古代人のゴミ捨て場だったわけだが、
僕の住んでいる部屋も貝塚の様相を呈し始めた。

不思議なことに押入れを開けるたびに貝塚が発見され、
分別せずに放り込まれているものだから、
開けてびっくり玉手箱だ。

僕はまさに自分貝塚の発掘をしているのだ。


モースが貝塚の発掘に取り掛かろうとしたのは、
古代人の生活がどんなだったか知る手がかりになると思ったからだろうが、
自分貝塚の発掘は、高々10年ほど前の自分の発掘であって、
残念ながらたいして今の自分と変わらないし、
2時間遊んで飽きたおもちゃやら、
捨てていいのかわからない書類を面倒だからとりあえず残しておいた、
といったような「怠惰」の歴史を知るに過ぎない。

「いらなかったんなら、その場で捨てろよ」と
古代人の自分に言ってやりたいくらいだ。


発掘作業をしていてたまにうれしいときがある。

見覚えのないエロ本が出てきた時だ。
「新鮮な気持ちで楽しめるじゃないか!」と
古代人の自分に伝えてあげたい気持ちになるのだが、
エロ本を見ている間は作業が当然、進まないわけで、
あとから振り返るととても無駄な時間をすごしたような気分になる。

一度など「知恵の輪」が出てきて、
「これは古代人の自分がクリアできなかったに違いない」と
熱心にカチャカチャいじっていたのだが、
そんなことをしてたら3時間も経過していた。

もちろん知恵の輪を外すことができなかったわけで、
ただ時間を浪費したに過ぎないのだが、
古代人の自分もおそらくクリアしておらず、
未来人の僕に託すため貝塚に入れたのだろう。

僕は解けない知恵の輪を不燃ごみの袋に入れることで、
古代人から託された想いを解決した。

まさにコロンブスの卵である。


でも、本当にうれしかったのは、
スーツを捨てようとしたときだ。

大学の入学式や就職活動で使ったスーツがまだ残っていて、
もう着ないだろうということで捨てようと思ったのだが、
一着のスーツのポケットに千円札が入っていた。

普段はあまりスーツを着ないので、
どういう状況でポケットの中に千円札が入ることになったのか、
過去の記憶をたどってみたのだが、
まったく思い当たる節がなかった。

しかも千円札は、野口ではなく漱石先生なのだ。

かなり昔にポケットにしまったのだろう。

千円札を見つけたあとは、
「もしかしたらほかの服にもお金が入っているかもしれない」と考えてしまって、
スーツだけではなく、シャツやらパンツやらを取り出して、
どこかにお金がひっついていないか探してみたが、なかった。

時間の浪費である。


まあ、なんだかんだで部屋のゴミは少なくなってきている。
飛ぶ鳥あとを濁さずということわざがあるが、
僕もきれいに飛び立ちたいものだ。


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過去のない男

過去のない男
公開 2003年3月15日(日本)
監督 アキ・カウリスマキ
脚本 アキ・カウリスマキ
出演者 カティ・オウティネン、マルック・ペルトラ


【鑑賞後】評価:★★★★★(映画百選)


引越しをする前に会いたい人がいる。

それは群馬に住んでいる僕の大切な友人だ。

進学のため、誰も知らない東京へ出てきたとき、
同級生の彼が僕の面倒を見てくれた。
お金の使い方が下手で仕送りの一週間前にお金を使い果たしたとき、
彼は自分のバイト代を使って僕に焼肉をおごってくれ、お金を貸してくれたのだ。

彼は何年も東京で浪人をしていて、一人暮らしに慣れており、
年上だったこともあって頼もしかった。

だから最後に挨拶に行きたいというメールをして、
彼からの着信履歴があったから夜中に電話した。


恋愛においても彼は経験豊富で僕の先生のようなところがあったから、
学生時代に限らず、いろいろとアドバイスをもらったのだが、
今回も田舎へ帰るにあたって、僕の中のモヤモヤを解消するために相談したのだ。

僕「どうしても付き合っていた女性の現状を知りたいんです。メールしてもいいでしょうか?」
師匠「は?別れた女にいまさらメールしてどうするんだよ」
僕「なんというか、4年も付き合っていたのに何も言わずに帰るのはちょっと。
 挨拶メールみたいなものを・・・」
師匠「向こうは向こうでよろしくやってるよ。余計なやつが出てっちゃ駄目だろ」
僕「それが・・・、向こうから直接メールとかは無いんですけど、
 知り合い伝いに『心配している』とか、『応援している』とか聞かされて・・・」
師匠「ほっとけよ」
僕「それが、僕の家の近くまで来たみたいなんですよね」
師匠「は?なにしに?」
僕「わかりません・・・ 僕は会ってませんから。でも・・・」
師匠「なに?」
僕「赤ちゃんを抱いていたみたいです。僕のアパートの部屋を見てたみたいです」
師匠「お、お前」
僕「ち、違います!僕の子供ではないです!」

師匠「まあ、彼女にだって情があるさ。長年付き合ったんだからな。
 このあと一生会えなくなるかもしれないからひと目だけ見たいとか、
 そういう感情はあるんじゃないのか」
僕「じゃ、メールしていいですか?」
師匠「しなくていいよ」
僕「じゃ、しますね」
師匠「人の話、聞けよ。もし向こうがシングルマザーとかになっていたとして、
 お前はなにかするつもりなのか?」
僕「い、いえ・・・ もう終わってますから。でも明らかに会いにきてるじゃないですか?」
師匠「バカ、寄りを戻すつもりもないのにいちいち連絡取るな」
僕「向こうが悪いんですよ、僕の視界にチラつくから」
師匠「ほっとけよ!お前はほんとに男にありがちなバカの典型だな。
 別れた女の心配なんてするだけ無駄だ」
僕「はい、そう思います・・・ でも、僕みたいなバカでも先輩に会いに行ってもいいですか?」
師匠「ん?あ、いいよ。でも、忙しいからあまりこっちきても相手できないぞ」
僕「ありがとうございます!」


そんなわけで翌日、僕は彼女にメールを送ったのだが、
「あて先を確認してください」とエラー表示が出た・・・

は・・・? これはメール受信拒否ではないか!?

アッチョンブリケ!

散々こちらの視界にチラついておいて、
いざこちらが連絡を取ろうとすると、拒否かよ、おい!


別れる前に彼女のこういう性格が嫌いで冷めてしまった自分を再確認した。

なんというか、自分のやりたいことはやるけど、
こっちのやりたいことには興味が無いというか、
相手の気持ちを察して行動することができない人間の典型というか、
あらためてガッカリしたのだ。

でも、受信拒否をするということは、
彼女は彼女で、過去に付き合っていた男が出てきてほしく無い生活を送っているということだ。
つまり幸せにやっているのだ。

それがわかれば、僕は彼女に対して知りたいことはもう無い。


そう考えることができて、彼女にもらったマフラーも
一緒に撮った写真も何の気兼ねもなく、捨てることができた。
(詳しくは二日前の記事をお読みください)


ただ、もうこちらの視界にチラつくのはやめて欲しいと思う。

確かに付き合っていた女性の現状を知りたいというのは僕の本心だけど、
その女性の目の前に登場したいと思ったことはない。
僕はちゃんと「興信所を使って」と二日前のブログに書いた。
つまり彼女のことを僕が調べているということを知られたくはないのだ。

知られることで僕が彼女に気持ち悪がられるのはかまわないのだが、
彼女の日常に面倒くさい影響を与えたくないのだ。

そんな風に考えられる僕のほうがよっぽど立派だと思う。

彼女は僕に面倒くさい影響を与えた。



映画の紹介をすっかり忘れていたジャマイカ!

僕はいま生きている映画監督で誰が一番好きかと聞かれたら、
「アキ・カウリスマキ」と答える。

ちょっと言いにくい名前だけど彼の作品が好きだ。


登場人物はどこか無愛想なんだけど愛嬌がある。
そして作品のテーマも面白いのだ。

『過去のない男』では暴漢に襲われて記憶喪失になってしまった男が、
恋をしてしまうお話だ。

自分の過去がなんなのか、名前がなんなのかもわからない。
結婚しているのかもわからないのだけど、
目の前にいる女性に恋をしてしまうのだ。

彼女のために就職しようとするのだけれど、
自分の名前もわからないものだから役所で失業保険受給の手続きもできない。

そして・・・


アキ・カウリスマキ監督の作品は当たりはずれがあるのだけれど、
この監督のユーモアと人間に対する優しいまなざしが僕は好きだ。

小津安二郎監督を敬愛しているだけあって僕と気が合いそうな気がする。


「映画百選」に入れたい『コンタクト・キラー』という作品も撮っている。

この映画は、
人生に失望した男が自殺しようとするのだが、
自殺できずに殺し屋に自分を殺すよう依頼するのだ。
しかし、依頼した後すぐに花売り?の女性に一目ぼれしてしまって死にたくなくなる。
男は殺しの依頼を解約しようとするのだが、
殺し屋がいるはずのバーが取り壊されていて、解約を伝えることができないという話だ。


『過去のない男』に戻るが、この映画は、
「いままで歩んできた詰まらない人生に失望するな。前を向いて歩け!」
という監督のメッセージが込められている。

長年生きてくれば、人間には垢と過去が堆積していく。

しかし、過去に縛られていたのでは前に進むことはできないのだ。

過去ばかり見て生きていくことはできない。


ちなみに、僕の師匠は過去にはまったくこだわらないどころか、
未来に対してもなんの期待もしておらず、
僕から見たら人生に「絶望」しているようにしか見えないから、
「過去も未来もない男」と心の中で思っているのだが、
本人には言えない。



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【雑感】都会と田舎

東京からサヨナラする決意をしたのはもうかなり前のことだ。

母から電話で「地震も多いし、(実家から)遠いから帰ってきなさい」と
言われたのが実家へ帰る決断をしたひとつの要因だ。

でも、母から言われたからといって「はい、ママ」というほど、
僕はマザコンでもなければ、トンガリでもない。(トンガリ=キテレツ大百科ね)

僕の中で「田舎へ帰りたい」という想念が無意識の中でプカプカと浮かんでいて、
母が僕のプカプカ浮かんだ風船を射止めたのだ。

さすが母である。


でも、田舎は好きじゃない。

田舎の悪いところは、なにより人が詰まらないということだ。
固定観念と既成概念に縛られ、
社会的立場や職場の上下関係で他人の意見を正しいかどうか判断する。
そんな印象しかない。

下っ端がどんなに正論を述べたとしても「下っ端」という理由だけで却下される。
東京では、立場に関係なく相手の意見を分析し、賛同するか反対するか、
個人の意思と思考で決断する。

もちろん、これは会社や学校など、どういう気風の集団に所属しているかにもよるが、
都会では固定観念に縛られないという印象は強い。

いろいろな考えを持った人がおのおの好き勝手な自分の意見を主張し、
賛同や批判、無関心で都会の空気は今日も澄んでいるのだ。

ごちゃまぜの価値観にさらされることで、人はいろいろな価値観から自由になれる。
そして自分の大切な価値観に気づき、守ろうとすることもできる。

要するに個人主義ということだろうか?(違うかな・・・)


田舎で誇れるものは自然だ。

都会で昆虫といえばゴキブリであり、動物といえばネズミくらいなもので、
ペットショップでは海外からたくせんの珍しい生物が輸入されているが、
所詮はいきものというより玩具に過ぎない。

値段の付けられたおもちゃだ。


田舎では蜂や蛇が自分の縄張りを主張し、
人間様がうっかりテリトリーに踏み込もうものなら、
必死になって抵抗してくる。

「お前の居場所はここではない」と退去するよう脅してくるのだ。

まったくもって生意気なのだが田舎人はそれで、
「じゃあ、仕方ないね」と言って帰ってしまう。

都会なら蜂と蛇に対する対策本部が設置され、
蜂と蛇を撲滅しようという意見で一致するはずなのだが、
固定観念に縛られたのんきな田舎者は「悪かったね」と言って、
下等な生き物に道を譲ってしまうのだ。

それが、とてもいいと思う。


都会ではすべてが人工物でできている。
アスファルトで固められた道路やコンクリートでできた建物。
人間の脳みそでさえ、誰かの意見や自分の主張でできている。

田舎では自然への畏怖がまだ息づいているので、
人工的なものに対する信頼は都会ほどないし、
脳みそも人工的なものに対しては完全ではないという見方で、
どこか曖昧さや気まぐれさがあるように思うのだ。


僕は19歳で離れた田舎に戻り、
田舎がどんなところだったか改めて実感したいと思う。

田舎で暮らして、都会にあこがれた自分と
都会で暮らして、田舎に帰りたいと思った自分。

この二人の間にどんな考え方の違いがあるのか。

田舎に帰ることで僕は職を失うわけだが、
それよりもなにか得ることがあるような予感がして、
少しだけドキドキしている。

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