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クラッシュ

クラッシュ
Crash
2006年2月11日公開(日本)
監督 ポール・ハギス
脚本 ポール・ハギス、ボビー・モレスコ
出演者 サンドラ・ブロック、ドン・チードル



【鑑賞前】期待:☆☆

この映画も1本50円だから借りた映画だ。

多民族国家であるアメリカの現状が描かれているとのこと。

アメリカ文化を学ぶような気持ちで見るつもりだ。

そういえば、昔、『フォレスト・ガンプ』という映画があって、
知的障害(?)の男性が主人公なのだが、
この主人公がアメリカの歴史的出来事に関わりつつ、
本人はひたむきに頑張る(走りまくる)、という内容だったわけだ。

主人公のひたむきな姿に日本人の大多数が感動して、
大ヒットしたわけだが、
僕はこの映画はアメリカ人のためのアメリカの映画としか思えなくて、
あまり感動しなかった。

『クラッシュ』はアメリカ万歳的な作品じゃないよね?

期待せずに見るのが一番だ。


【鑑賞後】評価:☆☆☆☆

なんてセンスのいい語り口なんだろうか。

脚本が天才的すぎる!

人種差別というものは、偏見の上に成り立っている。
偏見というのは、お互いのことを大して知らないけど、
相手のことが気に入らない、怖い、嫌いということだ。

よく知らないくせに、忌み嫌う。

そんなお互いをわかっていない二人が理解しあうために必要なことは、
ぶつかり合うことである。つまりクラッシュだ。

できる限り衝突は避けたいと考えるのが普通だが、
相手のことをよく理解しようとすればするほど、
衝突を避けられない。

「喧嘩するほど仲がいい」なんて言葉があるけれど、
喧嘩(衝突)をすることで相手のことを知ることができるから、
喧嘩が終われば、喧嘩の前より相手のことを知ることができ、
仲が良くなるということなのだろう。

同じ社会で暮らしていても、
アメリカのように人種の坩堝では、
偏見が横行しているのではないだろうか。
白人、黒人、ヒスパニック、アジア、多種多様な人種が、
同じ土地、言葉、法律、貨幣の下で暮らしている。

同じ社会で暮らしているのだから、
お互いが信頼し、みんなで幸せな社会を作ろうと志せばよいのだが、
人間というものはそういう風には作られていないようだ。

ちょっとした考え方や宗教、肌の色の違いで、
お互いをまったく別の生き物のように感じてしまう。
そして、相手を憎み、殺すのだ。

この映画では、差別主義者が「いざ」という時、
見下している人間を助け、
博愛主義者に見えた人間が「いざ」という時、
他人への猜疑心を捨て切れていないことを明白にする。

作者の人間を見る目の鋭さを感じることができる作品。

「車」と「人種差別」という一見、無関係に見えるものを
とても上手く結びつけた秀作だ。


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ベンジャミン・バトン 数奇な人生

ベンジャミン・バトン 数奇な人生
The Curious Case of Benjamin Button
2009年2月7日公開(日本)
監督 デヴィッド・フィンチャー
脚本 エリック・ロス
出演者 ブラッド・ピット、ケイト・ブランシェット



【鑑賞前】期待:☆☆

なんか一発狙いみたいなストーリーだから避けていた映画だ。

生まれた時が一番おじいさんで、
どんどん若返っていくんだとさ。

おじいさんが若い女性から生まれるシーンを想像してしまったよ。
杖を持って出てくるのだろうか?

死ぬときはどんな風になるんだろうか?
オタマジャクシと卵に分裂するんだろうか?

気持ち悪っ!

そんなわけであまりそそられないんだけど、
DVDレンタル1本50円だったから。

缶ジュースより安いから。


【鑑賞後】評価:☆☆

長い!

2時間45分はさすがに長すぎるでしょ!

そして、退屈だ。退屈すぎる。

アカデミー賞候補って話だけど、こんな詰まらん話を
受賞させたって意味ないでしょって思った。

見る前に思ったとおり、一発狙いのストーリーで、
人の人生を逆行させたってだけのお話。
「話にならん」とはまさにこの映画のことだ。

唯一よかったのがケイト・ブランシェットがすごく綺麗だったということ。
あとは特に何もない。

あまりにも書くことがなさ過ぎてほかの人のレビューを
読んでみたりもしたけれど、
「2時間45分があっという間だった」とか
「特殊メイクがすごい」とか
もう結構です。

そもそも時間を逆行させることにどういう意味があったのか?
逆行させるならそれなりのテーマを持って
このファンタジーを描いて欲しかったものだと思った。

どんどんと若返っていく人間は、
家族を持ってはいけないってどうして?
ここがテーマだと思うんだけど、
「なるほど」と思える回答が無かったから、
ピーマンのような中身の無い作品になったんだと思う。
(ごめん、ピーマン。急に名前を呼んで侮辱してしまって。
 君はこの映画と違って苦味があるから存在価値があるんですよ。)

年寄りが見ると楽しい映画らしいのだが、
楽しめなかった僕は、まだまだ若いということだ。うむ。


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スラムドッグ$ミリオネア

スラムドッグ$ミリオネア
Slumdog Millionaire
2009年4月18日公開(日本)
監督 ダニー・ボイル
脚本 サイモン・ビューフォイ
原作 ヴィカス・スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』
出演者 デーヴ・パテール、マドゥル・ミッタル

 

【鑑賞前】期待:☆☆☆☆

ゲオに足繁く通うようになって、
僕はこの作品のことが何度か気になって手にとることもあったが、
結局、いままで借りたことがなかった。

ジャケットに書かれたストーリーを読むと、
なんか面白そうなんだけど、
なんか詰まらなさそうだ。

とても複雑な気持ちになって、
棚に戻してしまっていたんだが、
1本50円祭りだったので、
割とすんなり借りてしまった。

アカデミー賞も獲っているわけだし、
詰まらなくはないよね?
大丈夫だよね?

【鑑賞後】評価:☆☆☆

うーん。なんなんだろう、このモヤモヤ感。

ただ自分が何でいままでこの映画を借りなかったのかは、
よくわかったし、やっぱりそうだったかと思った。

つまり「ミリオネア」というクイズ番組を
スラムの生活とマッチさせたことが、
僕は気に入らないのだ。

「設定ありき」の映画になっている。

もちろん「ミリオネア」を絡めたことで、
ストーリーは引き締まるし、
「なんでスラムの無教養な男の子がクイズに答えられるの?」
という疑問で観客を引っ張っていくことができる。
でも僕にとってこれが邪魔で仕方がない。

スラム街の中で生きる小さな兄弟と少女の話だけでは、
この映画は成立しなかったのだろうか。
スラム街の描写はとても面白かったんだけどな。

あとクライマックスが一番気に入らない。
これじゃあ、ただのおとぎ話だ。

主人公がマフィアの妾になっている少女に
「僕と一緒に逃げよう」と持ちかけるシーンがあって、
少女は「逃げてどうなるの?お金もないのに」と拒絶するんだが、
主人公は「愛がある」と答える。

当然、こんな答えで少女がついて来るわけがないと思いきや、
少女はマフィアから脱走して少年を追ってくるのだ。

脱走は失敗に終わってしまったのだが、
僕はこの二人がお金のない状態で一緒になって、
最後どうなるのか気になって仕方なかった。

でも残念ながらそうならなかった。

最終問題の「正解!」が、僕にとっては「不正解!」だった。
-------------------------
ここまで書いたあと、僕はいろいろなレビューを読んだ。

そして「あれ?」と思うところがあり、映画を見直したりしてみた。

つまり「It is written」が心に引っかかるのだ。

この映画はまず、以下の文が画面に現れる。

Jamal Malik is one question away from winning 20 million rupees.
How did he do it?

A. He cheated
B. He's lucky
C. He's a genius
D. It is written

字幕では大体こういう感じで訳されている。

どうやってジャマールは2000万ルピーを手に入れたのか?

A.インチキした
B.ツイていた
C.天才だった
D.運命だった

まず最初の違和感は「D.It is written」が
「運命だった」と訳されていたことだ。
僕の感覚だと「書かれていた」「筋書きだった」となる。

ネットで検索すると、「It is written」というのは、
聖書の中で、この言葉の後に神の言葉が続くようで、
「神の定めたこと」だから「運命」と訳されるのだそうだ。
だから字幕でも「運命」と訳されている。

しかし、映画の舞台はインドである。
ヒンドゥー教とイスラム教の対立シーンは出てくるが、
キリスト教は出てこない。

じゃあ、「筋書きだった」と訳すのが適当ではないだろうか?

僕はそう思ったのだが、「筋書き」とすれば、
誰がクイズ番組で連続正解する筋書きを書いたのだろうか?

当然、主人公のジャマールとなる。
(もちろん、「脚本家です。」「原作者です。」って答えもある。
 この場合は「ただの作り話ですから、テヘッ」って感じの解釈になる。)

ジャマールは自分で作った問題を自分で解いただけだから、
当然、全問正解することもできる。
また、問題が主人公のいままでの人生で知っているものばかり出ているという
ご都合主義的な違和感も、本人が問題を作ったということであれば、
まったく違和感はないのだ。

さらに言えば、「ミリオネア」にジャマールが出場しているということ自体、
ジャマール自身が「描いたもの」「想像」「妄想」に過ぎない。
ジャマールは実際には「ミリオネア」に出ていない。

では、どこまでがジャマールの現実かと言うと、
少女に会うためにマフィアのボスの豪邸に入っていったところまでだ。

少女とジャマールはそこで2つのことをする。
①放映されていた「ミリオネア」についての会話。
②午前5時に駅で少女が脱走してくるのを毎日待っているという約束。

①については、ジャマールが「どうしてみんなこの番組が好きなの?」と
少女に聞くわけだが、少女は「夢を見たいから」と答えている。
久々の再会の場面でテレビ番組のことを話すなんて不自然だと思ったが
ここで二人がこの会話をしないとジャマールが妄想してくれないのだ。

次に②だけども、約束をした次の日には少女が脱走してきた、
みたいな感じで僕ははじめ思ってしまったんだけども、
たぶん、少女はすぐに脱走できなかった。
そして、ジャマールは何日間も駅で彼女をひとり待ったのである。
彼女が脱走してきて、追っ手に捕まり、頬を切られるシーンは、
ジャマールの妄想だ。(あとでまた述べる)

そう。
ジャマールは駅で彼女が来るのを期待して、待っている間、
自分がもし「ミリオネア」に出場して、
全問正解2000万ルピーを手に入れることができたなら、
僕と彼女の運命(destiny)は変わるのだろうかと妄想してたのである。
警察に「不正をした」と詰問されるシーンもジャマールの妄想に過ぎない。

そう考えると、最後にジャマールと少女が出会うシーンは、
どういうことなのか?
少女の頬には確かにナイフで切られた傷があって、
ジャマールはその傷に優しくくちづけする。
頬に傷があるということは、途中に描かれた脱走が失敗に終わるシーンと
つながるわけだが、あのシーンは後付けに過ぎない。

ジャマールが少女の頬にキスすると、
回想のようなシーンが巻き戻しで再生される。
この「巻き戻し」をどう解釈するかが問題だが、
僕はジャマールの「妄想」が作られるシーンだと考えている。

現実では、
マフィアの豪邸で会った時以来、
二人は久々に会うのだが、
少女の頬には傷がついていた。
どうしてその傷がついたのか?
おそらくマフィアのボスにつけられたものなんだけど、
ジャマールは自分が「ミリオネア」に出場する妄想に付け加えたのだ。

そもそもラストのジャマールが、駅で柱にもたれて
座っているシーンは不自然じゃないか?
「ミリオネア」に出場して、インド中から注目されているはずの彼が、
駅で肩身狭そうに座っていて、誰も声をかけてこない。

2000万ルピーを手にした主人公が、そんなこじんまりとしているだろうか?

初めから2000万ルピーも手にしていないし、
テレビにも出ていないとすれば、
彼は一人寂しく駅の柱にもたれかかって、
彼女が来るのを待っていたとしてもおかしくない。

「ミリオネア」出演シーンは全部、主人公の妄想です。←これ

外国の映画を見る難しさは、舞台となっている国の文化を知らないことと、
比例している。

自分なりの解釈を書いてみたが、
英語もろくにできないから、
この解釈は妄想に過ぎない。

でも、これくらいの解釈をしないと、
あまりにもこの映画は面白くなさ過ぎるじゃないか。



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お葬式

お葬式
1984年11月17日公開
監督 伊丹十三
脚本 伊丹十三
出演者 山崎努、宮本信子


【鑑賞前】期待:☆☆☆

伊丹大先生の作品だ。

昔、見たことがあるんだけど、
ゲオのオススメコーナーに並んでいるのを見つけて、
話の内容を思い出せなかったので借りてみた。

どんなお話だったっけ?


【鑑賞後】評価:☆☆☆

儀式の中で一番重要なのがお葬式だ。

僕はそう思っている。

理由はいたって明快で、
一生の中で一度しか経験できないものだからだ。
まあ、経験するといっても儀式の主人公は死んでるわけだから、
経験したことにはならないかもしれない。

結婚式を「一生に一度しかない」と言う者もあるが、
それは建前上の話であって、
生きている限り何が起こるかわからない。
二度三度、結婚式をしたって不思議ではない。

そもそも儀式を行うことは人間にとってどういう意味があるんだろうか?

特にお葬式では、坊さんの長い読経や
家に入る前に塩をまいたりするわけだが、
そんなことをしてどういう意味があるのだろうか?

迷信や形式だらけだ。

でも儀式というのは形式だらけとはいえ、
ひとつひとつの行為に意味が付与されていたり、
感情を処理するために必要だったりする。

前々から思っていたのだけど、
お葬式というのは主人公である故人のためではなく、
残された者たちのために行うものではないだろうか?

残されたものは故人に対して悲しみや遺恨などいろいろな感情が
浮かんだり、芽生えたりしているものだが、
そういった感情を消し去ることが「お葬式」という儀式の持つ
重要な意味だと思う。

「死者を送り出す」という意味とともに、
残された者が「明日も死者への想いに囚われず過ごせるように」という
意味も含まれているはずだ。

まあ、そんなに難しく考える必要はないのかもしれない。

そういえば、二、三年ほど前、私の祖父が死に、
僕は東京からあわてて祖父の住んでいた愛知県に行った時のことである。

名古屋へ向かう新幹線は、豪雨のため浜松駅辺りで停車し、
通夜に遅れてしまったわけだが、
親族は「遠いところから良く来てくれたね」と僕を迎えてくれたのである。

僕は新幹線の中で飲んだビールで少し酔っていたのだが、
問題なく焼香を済ませ、親族らしい振る舞いをしていた。

通夜はセレモニーホールで行われたのだが、
翌日のお葬式に備え、親族が「寝ずの番」をする。
つまり、祖父の遺体と一緒に一夜を共にするわけだ。

親戚のおじさんがくれたお金で酒を買ってきて、
僕の家族と喪主のおじさんとで祖父の話などしながら、
飲んだくれていたわけである。

深夜0時を過ぎるとみんな疲れて眠ってしまって、
僕だけが起きていた。

一人でお酒を飲むことに慣れているのだけれど、
部屋で飲むのと違って、やることがない。
僕は退屈になって、棺おけの蓋を開けて、
祖父の死に顔を肴に酒を飲んだり、
セレモニーホールの中を歩き回ったり、
置いてあった葬式に使うであろう道具を手にとって振り回したりしていた。

僕自身は少し眠たくなっていたのだけれど、
母から「線香の煙を目印にして故人は天国へ向かう」という話を
聞いていたものだから、
線香が消えないように「寝ずの番」をしなければならないという
使命感があった。

三時間ほどで燃え尽きる線香を燃え尽きる直前に
別の線香に取り替える。
僕はみんなが寝てしまった後も、祖父が天国にいけるよう
燃え尽きそうな線香を新しい線香に変えていたのである。

使命感に燃えていたものの午前5時ごろになると
さすがに眠気に襲われて耐えられそうにない。
線香はあと1時間くらいで燃え尽きそうなのだが、
1時間も目覚めている自信がなかった。

僕は悩みに悩んだ挙句、
とんでもなく天才的な発想をしたのである。

線香をもう一本立てておけばいいじゃない!

燃えている線香はあと一時間で燃え尽きたとしても、
いまから新しい線香に火をつければ三時間もつはずである。
三時間経った午前8時には誰か目を覚ましているだろう。
そしたら新しい線香を立ててくれるに違いない。
祖父も天国への道に迷わないはずだ。

僕は燃えている線香の横に、
新しい線香に火を付け、立てて、安心して眠りについた。

翌朝、僕の予想通り母が早起きしたことで
線香の煙は絶やされることは無かった。

安心してみんなで朝食を食べていると、
母が僕に話しかけてくる。

「親戚のおばちゃんがお葬式に詳しくてね、こんなこと言っとったわ。
 線香を二本立てると煙が二手に分かれるから、
 故人がどっちに行けばいいのかわからなくなって迷子になるんやって」

僕の箸が止まった。
額から冷や汗が流れてくる。
「ああ、おじいちゃん、ごめんなさい。」
と、心の中でつぶやいた。

僕は線香を二本立てたことを誰にも言わずに帰京した。

まあ、迷信といえば迷信でしょ?
死んだ後の世界なんて誰も知らないんだから。
でも、ただの迷信で済ませられないような気持ちがあって、
これが儀式のパワーなんだと思った。

よくわからない儀式。
でも、なんか意味があるような気がして仕方が無い。

ちなみに「寝ずの番」をしていた夜に振り回して遊んでいた坊さんの道具を
坊さんが葬式の本番で振り回し始めた時も焦って冷や汗が出た。
ただの飾りだと思っていた木の棒を、
祖父の遺影の前でお経を唱えながら「えい!」って坊さんが振っていた。

「その棒は僕が昨晩、意味もわからず、バットの代わりに素振りしていた棒です」

映画の中でも「お葬式」は悲しみに浸るよりも、
式をあげるための準備に追われる親族の様子が描かれている。
お葬式での「常套句」をビデオで見て覚えたり、
線香の立て方をみんなで予行練習したり。
お葬式ってそういうものなのかもね。

この映画は、
お葬式の「How to 本」みたいになっているところがちょっと残念だ。


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書道ガールズ!! わたしたちの甲子園

書道ガールズ!! わたしたちの甲子園
2010年5月15日
監督 猪股隆一
脚本 永田優子
出演者 成海璃子



【鑑賞前】期待:☆☆☆☆

映画の存在は前々から知っていたが、
まったく借りる気は起きなかった。

『スイングガールズ』とどうせ似たような感じなんでしょ!
っていうのがあって、
見る前からストーリーの展開が読めてしまうからだ。

クライマックスは、だいたい「○○大会」みたいな発表会に決まっている。
発表会では電車が遅れたり、誰かが怪我をするわけですよ。
「もう駄目だ」と思わせといて「私達がんばる~(泣)」みたいな。
登場人物たちが泣いている様子を、
僕は渋々、鼻をほじりながら見させられるわけだ。

まあ、予想は完璧なわけだが、どうしてこんなに期待しているかというと、
脚本の「永田優子」だ。メジャーではないにもかかわらず、
僕はこの人の名前だけは頭に残っている。

この人は10年近く前にフジテレビが主催する脚本コンクールで受賞している。
受賞した脚本が、ある雑誌に掲載されていて、僕は読んだのだが、
繊細な脚本を書ける人だと思った。
いつ、この人が橋田スガ子みたいに
ビッグネームになるのか期待していたのだが、
あまりテレビで連ドラを書いているのを見たことがない。

消えちゃったのかなと思ったら、ゲオで出会ってしまったのである。
僕は思わず「ひ、久しぶり」と声をかけたのであった。


【鑑賞後】評価:☆☆☆☆

ほらね?面白かったでしょ?

まあ、ストーリーの展開としては予想通りですよ。
この手の話はストーリーなんて決まってるわけです。
一番大切なのは、やり過ぎないってこと。
感動させようとし過ぎてやりすぎてしまうと、
見ている人は白けてしまう訳で、
程よい感じにするのが脚本家のセンスではないかと思ってしまった。

突然ですが、ラブレターを書いたことはありますか?

ラブレターを書いたことがある人ならわかると思うけど、
まずは下書きをするわけです。
自分が相手のことが好きなことをどうやってアピールすればいいのか、
文章を推敲するわけですよ。

表現が大げさ過ぎないだろうか?
言い足らないところはないだろうか?
等身大の気持ちを文章で表現できているだろうか?
なんて感じで。

大体の文章ができたら、今度は便箋と封筒を選ぶわけです。
色や大きさ、紙質や匂い(?)、行間の幅やデザイン。
手渡しでないのなら、
切手はできれば記念切手で、さりげないこだわりを。

そんなこんな悩んで、やっとこさ、
便箋に文字を書く。

誤字脱字は厳禁で、修正液は当然、使用不可である。

ぷるぷると震えるペン先を意識しながら
下書きした自分の気持ちを丁寧に、
一文字一文字書き込むのだ。

まあ、そんなはるか昔過ぎる気持ちを
思い起こしてくれるような映画でした。
(直筆で文字なんて最近書いてないな~)

いまは、
「そろそろ別れたいんだけど」
「まじで?」
「まじで」
みたいなメールで、恋人関係に終止符を打てるような
インスタントな時代ではあるけれども、
そんな風に紙にも文字にも思いを込めることって
なかなか良いんじゃないかと思う。

書道は、ラブレターの清書のような緊張感を伴うものである。

そんなことを思った。

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