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【雑感】春は近い

こうも暖かい日や寒い日がランダムにやってくると、
お年をめした方は体調を整えるのが大変だと思う。

まるでフルイにかけるように
生命力の弱くなったお年寄りを揺さぶり、
あっちの世界に誘おうとしているようだ。

自然は地震や津波のような大きな目に見える影響だけではなく、
ボディブローのように徐々に効いてくる攻撃で、
僕たち人間の生命力を試してくる。


季節の変わり目を乗り越えることは、
若い人間にとっても容易ではなく、
少し暖かい三月に冬物の服装でもしていたものなら、
周りから「季節はずれのファッションをした空気の読めない人間」というレッテルを貼られ、
一緒にいることを拒まれてしまう。

暖かい陽気の日に一人ぼっちで公園を散歩しなくてはいけなくなるのだ。

そんなときはコートもセーターも脱ぎ去って、
Tシャツ一枚になることをお勧めしたい。

まさに季節先取りのイケテル奴になれるだろう。


「寒い」ということは、それだけで「雨」と同じくらい人間から嫌われている。

「暑い」のを嫌う人間ももちろん多いのだけれど、
どちらかというと「暑い」は「夏」につながり、
「夏」は「恋」につながると思い込んでいる若者が多いせいか、
「寒い」ほど嫌う人は少ないのだ。

僕は夏生まれだから、冬ほど夏を嫌わないよう意識しているわけだが、
夏は夏で、服を全部脱いで裸になっても、
皮を剥ぎ取って骨と肉だけになっても、
いや骨だけになっても、暑いのだから、
まだ服を何枚も着込めば乗り越えられそうな冬に比べ、
タチが悪いような気がする。

でも夏生まれだから、夏の悪口は言わないことにする。


冬のいい所を2文字で言ってくださいと聞かれたら、
とても困るけど、あえて言ってみると「忍耐」だ。

僕は職場が住んでいる所から北の方角にあるので、
冬場には、出勤するために北風に向かって進まなくてはいけない。
北風はとても冷たく、僕を出勤させまいとするような意思を感じてしまうのだが、
それに逆らう感じが、なんとも自分自身の生きる意志というようなものを
感じることができて、寒いけど「いいな」って思う。

別に仕事が大好きというわけではないのだけれど、
逆風に向かうことで使命感を感じることができるのだ。

「どうしてこんな寒い中を僕は職場に向かうのだろうか」
「職場に向かう理由が僕にはあるのだろうか」
「職場には僕を必要とする人がいるのだろうか」
「いや、ない」
「ないけど、出勤しないとお金がもらえない」
「お金がもらえないと生活できない」
「よし、この逆風に耐えながら、出勤しよう」

そんな自分自身の強い意志を再確認することができる。


暖かい日と寒い日の戦いは徐々に、
暖かい日の勝利が増えてきて、
僕たち人間にとっても過ごしやすくなってきた。
公園で寒さに耐えてマル禿になってしまった木々たちも、
徐々に毛が生え始め、生命力を感じさせてくれるようになるだろう。

もうしばらくの辛抱だ。

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【雑感】突然ミュージカル

ネットで動画を見るのが好きな人は知っていると思うが、
僕は「突然ミュージカル」シリーズが大好きだ。

「突然ミュージカル」とは、
図書館や授業中に突然歌ったり踊ったりして、
みんなを驚かす一種のドッキリなわけだが、
何も知らない人たちの驚いた顔や、
みんなを驚かす仕掛け人の緊張が伝わってきて
見ていて楽しい。

おそらくアメリカでやっているのだと思うが、
アメリカ人は人を楽しませる才能に長けているなと改めて思う。
ハリウッドが世界へ映画をたくさん送り出すのもうなずける。
外向的な性格と失敗を怖れない図太さがアメリカの国民性だ。

映画を作るには重要な性質だと思う。



日本人も同じようなことができるだろうかと考えてみたのだが、
僕はどうしても無理な気がして仕方ない。

日本人は内向的だし、他人に迷惑をかけないようにという国民性だからだ。

図書館や授業中に突然歌を歌うことは、
勉強を一生懸命している人たちに迷惑をかけることになる。
だからやっちゃいけない。

そういう風に考えてしまうし、そういう教育を受けてきた。

しかし、この動画を作った人たちは、違う。
面白そうなことを思いついたのでとにかくやってみたい。
そんな発想で実行しているように見える。

動画を見ていると確かに迷惑そうな顔をしている人たちもいるのだが、
大半の人は喜んでいるようだ。



僕自身もサプライズやユーモアでたくさんの人を楽しませたいと、
日々、思っているわけだが、
アイディアと歌唱力の両方が伴っていないせいか、
なかなかうまくいかない。

周囲の人々のつまらない日常を多少でも豊かにしてあげたいのだが、
僕一人が楽しんでしまう状態になってしまうようで、
「静かにしてください」と怒られる毎日だ。


でも、自分が楽しめれば、それでいいのである。


※映画はしばらく見れなさそうなので「雑感」で誤魔化します。

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【雑感】幸せについて

msnの記事を読んでいたら面白そうなのを見つけた。

第18回 オセロ中島と西村賢太で考える、幸せになる秘訣
http://donicchi.jp.msn.com/opinion/goodwill3/article.aspx?cp-documentid=5909278

オセロ中島はいま「洗脳」騒動で世間を騒がせているお笑い芸人だ。
西村賢太は芥川賞作家であり、風俗大好きで有名な作家だ。

中年になってやっとこさお金が稼げるようになったブサイクの西村と
若いころからテレビで活躍し、割りと顔の整った中島。

二人を比べれば、中島のほうが「幸せ」のような気がするけど、
中島は周知の通り、今、「洗脳」騒動で世間を騒がせているわけで、
(というかマスコミが報道しまっくっているわけで)
(というか相変わらずマスコミはクソゴミなわけで。理由は後で書く)
そんなわけで、どうして容姿も収入も西村に勝っているはずの中島が、
このような騒動を起こしてしまったのか、
とてもわかりやすく、この記事は説明している。


要するに「幸せとは?」という話なのだ。

僕たちはまだ、テレビが提供する幸せを追い求めているだけに過ぎないのだ。

大昔の景気がよかったころの日本では、
収入を増やすために、みんな同じ方向を向いて、
富士山の頂上を目指せばよかった。
同じ価値観を共有していればよかった。

景気が上向きだからみんなと歩調を合わせて同じ方向に進めば、
間違うことがなかった単純な時代がひとむかし前にはあった。

しかし、いまは景気は下降か、良くても横ばい。
昔のように上に上がっていくなんてことは容易に想像できないし、
上に上がる要因がない。

そんな方向性の良くわからない時代を生きるためには、
各人それぞれが、それぞれの「大切なもの」を心に抱いて、
世間体を気にすることなく、生きなければならない。

世間やテレビの言うことなんか気にすんな、ってことだ。

収入面では上がりも下がりもしない人生を若い僕たちは歩むわけで、
そんな経済状況の中で「収入」以外で「幸せ」を見つけようとするのなら、
それは各人の「やりたいこと」を見つけるしかないのだ。


映画で例えると『Shall We ダンス?』の考え方が近い。

収益は増えないくせに、減らさないよううるさい上司がいる会社で、
毎日、単調な日常を送っている主人公が、
まったく自分と関係ないような世界に足を踏み出し、ハマッていく。

ほんのささいな変化が主人公に与える影響は大きい。

身の周りの小さな幸せを探すたびに僕たちも出かけよう。

西村が「風俗」という「幸せ」を見つけたように、
僕たちにもきっと見つけられるはずだ。


そんなわけでクソゴミである。

クソゴミは世間体ばかり気にしている存在であるから、
世間が面白いと思いそうなものを
(みんなが興味があるに違いないと思い込んでいるものを)
さも「情報屋」みたいな顔をして垂れ流しているわけだが、
はっきりいって今回のオセロ中島洗脳騒動については、
社会的には情報として何の価値もないし、
中島がこの後どうなろうが僕たちの生活には何の影響もない。

むしろこんなくだらない情報を何時間もかけてテレビで垂れ流す価値があるのか?

消費税が値上げされるかもしれないのに、
洗脳騒動ばかり気にしている馬鹿な主婦が多いせいで、
ワイドショーは喜んでこのネタを提供しているのだ。
「貴乃花洗脳」もくだらなかった。

だいたい主婦なんて「家庭を支えている」なんて自負を持っているようだが、
ワイドショー見る暇あったら、
全自動洗濯機を売って、洗濯板で磨けよ、電気代を節約しろよ!
って感じである。


まあ、そんなわけで、
幸せってなんでしょうね?

あ、青い鳥!

が死んだ・・・


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【雑感】「淫ら」さん

行きつけのコンビニに酒とつまみを買いに行くと、
新しく入った若いアルバイトの女の子がいた。

メガネをかけたどちらかというと内気そうな感じの子で、
家に帰ったら少女漫画ばかり読んでいそうな雰囲気だ。

僕の好みではないけど、会計をしてもらうのに好みは関係ないので、
彼女がいるレジへと向かった。
品物を袋に詰める様子がぎこちなく、新人だと確信したのだが、
何気なく彼女の名札を見て驚いてしまった。

ひらがなで「みだら」と書いてあったのだ。

僕は思わず「マジで?」とつぶやきそうになった。

いつもなら「どんな漢字を書くんだろう?」などと、
真面目な僕は考えてしまうのだが、
この時ばかりは、彼女の名前が頭から離れず、
すっかり妄想にとらわれてしまったのだ。


◆「初めての合コン」編

(「みだら」さんは「み」)

男「じゃ、自己紹介しようか。まずは(みだらさんを指して)どうぞ」
み「は、はい。わ、私、みだらです(緊張)」
男「え?みだら?」
み「はい、そうです」
男「そ、そんな風には見えないよね」
み「え?見た目は関係ないですよ」
男「そっか。でもほんとにみだらなの?」
み「はい、本当です」
男「そ、そう・・・(笑うのを耐えながら)い、いつから?」
み「え?」
男「いつからみだらなんですか?」
み「生まれてから、ずっとです」
男「ぷっ。あ、すいません。生まれてからずっとね・・・」
み「はい・・・」
男「早熟だね。ぷっ、あ、ごめん、でも、ぷははははっ」
み「・・・?」

いじられキャラとして合コンで活躍しそうである。


◆「上司と不倫」編

男「いや、今日の君は一段とみだらだったよ」
み「そうよ、だって私、みだらだもん」
男「見た目ではわからないものだね」
み「名前負けしたくないの。さ、もう一回」

男になれてくれば、こんなことも言いかねない。


そんなわけで彼女が慣れない手つきでレジをこなす間、
妄想に浸っていたのだが、
おつりを受け取って帰る前にもう一度、
本当にみだらなのかどうか確かめたくて名札を見た。

「みだち」だった・・・

僕は愕然として二度見してしまったのだが、
やっぱり「みだち」なのだ。

楽しい妄想の時間はあえなく終わってしまった。


春めいた都会の住宅街を、
「みだち」ってどんな漢字なんだろう、
なんて考えながら僕は家路についた。

まだ少し風は冷たい。


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不作の時代

いま、やっていることがある。

それは、私的「映画100選」を作るということだ。
いままで僕が見た映画で、
「もう一度見たい」とか「人に紹介したい」と思う映画を
100選んでこのブログで発表したいと思っている。

でも、これがなかなか大変で、
まだ61しか選べていない。

あと39も映画を選べるのか・・・

映画はそれなりに見てきたつもりだったが、
100もお気に入りの映画を選ぶとなるとなかなか大変で、
ほかの人が選んだ100選を見ながら自分のお気に入りを抽出したり、
監督名で検索して、記憶を頼りに好きな映画を集めているところだ。


そんな作業をしていて思うことがあった。

それは、自分が選ぶ映画は、1990年代に作られた映画が多いということだ。
僕が映画を一生懸命見ていた年代なので当然なのかもしれない。

でも、この頃に作られた映画は名作が多かったのではないだろうか?
という気がしてならない。

ワインと同じように名作がたくさん生まれる年代が、
映画にもあるんじゃないだろうか?
ワインなら気候に大きく左右されるから、
不作や豊作でワインの出来、不出来が左右されるのはわかるのだが、
映画もなにかに左右されて、出来、不出来が決まるのではないだろうか。


例えばだが、一人の才能あふれる監督が登場し、
誰もが認めるような名作を作ったとする。
するとそれに刺激を受けたほかの監督が、
「もっとすごい作品を作ってやろう」といつも以上に感性と脳みそを使い、
作品を全力で作る。

そして、全力で作られた作品を見て、
またほかの監督が刺激を受け、いつも以上に切磋琢磨するのだ。

それぞれの監督がお互いを刺激し、良作を作るものだから、
どんどん作品は良くなっていってインフレスパイラル(?)に入る。

全ての作品のレベルが上がっていくのだ。


逆に不作ばかりの映画が生まれる時もある。

つまらない映画を作ったのに、
素人の観客が宣伝にだまされて映画館に足を運ぶ。
興行的には成功するものだから、
プロデューサーたちは、このドル箱映画を絶賛する。

それを聞いたクリエイター達(監督、脚本、役者)は、
「こんなもんでいいのか?」と思ってしまい、
どうやれば、観客を騙せるキャッチーな映画を作ることが出来るのか、
市場を眺めながら売れ線を探し始める。

本人達が「作りたい」とか「世に生み出したい」というような情熱ではなく、
「お金を稼ぎたい」ということに情熱がそそがれ、
出来る限り「安い」「早い」「まずくない」作品が量産される。

「まずくない」映画は「うまくもない」。

そんな映画が世の中にあふれ出すとデフレスパイラルに入ったなと思う。


友人の何人かにバンドをやっていた子達がいて、
彼らがよく口にしていた言葉があった。
それは「いまの売れ線は・・・」ということだ。

気分で金髪にしたり、刺青を入れるようなやつらなのに、
ギターを握ると急に守銭奴のように現実的になり、
ステージから観客の顔色をうかがい始める。

そして自分達もなにがしら世の中の流れに乗るために
想いのこもっていない音楽をかっこつけて奏でるのだ。

現実世界ではいかにも「バンドマンですから」という理由を武器に
まじめに働かなかったり、反社会的な行動をとる割には、
ステージの上ではお行儀が良かったのである。

そして彼らはみんな「バンド活動」という名の「経済活動」を
次第にやめていき、もっと現実的にお金を稼ぐことが出来ることを
目指すようになった。


「芸術」という言葉がある。

僕はたまにブログで書いたりしている言葉だけども、
この言葉の意味をはっきりと理解しているわけではない。
でも、「芸術」という言葉はとても重要だと思っている。

「芸術」というのは「個人が、自分の考える美を追求すること」だと
僕は思っているのだが、
「美」を追求するときは、自分なりの「美」がないと追求できない。
つまり、自分の中にこういう作品を作りたいという理想像が存在しなければ、
それを現実世界に生み出したいという情熱も生まれないのだ。

だからクリエイターは、二つの作業をしなければならない。
まず第一は、「自分の理想像を頭の中で空想すること」。
第二は、「理想像を現実に作り出すこと。表現すること」。

例えば、素人の役者は笑う演技が下手な人が多い。
心から笑わなければいけないシーンで、
愛想笑いのようにしか笑えない。

この役者が心から笑う演技をしたいと思ったとする。
まず初めにやることは本気で笑っている人の表情を観察したり、
先輩役者の笑い方を観察したりして「こういう笑い方をしたい」という
自分の理想像を作り出すことだ。
これは、「自分の理想像を空想すること」にあたる。

そして鏡の前で何度も笑う練習するのだ。
自分の顔の筋肉の動きを意識し、
声の大きさや高低をいろいろ変えて試行錯誤しながら、
「心から笑う」を身に着けていく。
これは、「理想像を現実に作り出す」ということだ。

「芸術」が洗練されていくためには、
この過程をたどるしかない。
努力無しには「美」など生まれないのだ。
また「美」は個人によって異なるし、
個人の研ぎ澄まされた「美」は他人の心を動かすことができる。

僕はそう考える。


今の時代はあまりにも「お金儲け」という価値が強すぎて
いい映画が生まれない時代ではないだろうか?
プロではないクリエイターたちでさえ、
どうやってお金を稼ぐかということを優先的に考えながら、
表現を磨いている。

でも、本当に大切なことは、
「自分の理想像を作ること」と「理想像を実現すること」だと
僕は思っているのだけれど、
自分に向き合うよりも周りの顔をうかがいながら表現する人が
あまりにも多すぎて、これじゃあ名作は生まれないなって思うことがある。

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