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不作の時代

いま、やっていることがある。

それは、私的「映画100選」を作るということだ。
いままで僕が見た映画で、
「もう一度見たい」とか「人に紹介したい」と思う映画を
100選んでこのブログで発表したいと思っている。

でも、これがなかなか大変で、
まだ61しか選べていない。

あと39も映画を選べるのか・・・

映画はそれなりに見てきたつもりだったが、
100もお気に入りの映画を選ぶとなるとなかなか大変で、
ほかの人が選んだ100選を見ながら自分のお気に入りを抽出したり、
監督名で検索して、記憶を頼りに好きな映画を集めているところだ。


そんな作業をしていて思うことがあった。

それは、自分が選ぶ映画は、1990年代に作られた映画が多いということだ。
僕が映画を一生懸命見ていた年代なので当然なのかもしれない。

でも、この頃に作られた映画は名作が多かったのではないだろうか?
という気がしてならない。

ワインと同じように名作がたくさん生まれる年代が、
映画にもあるんじゃないだろうか?
ワインなら気候に大きく左右されるから、
不作や豊作でワインの出来、不出来が左右されるのはわかるのだが、
映画もなにかに左右されて、出来、不出来が決まるのではないだろうか。


例えばだが、一人の才能あふれる監督が登場し、
誰もが認めるような名作を作ったとする。
するとそれに刺激を受けたほかの監督が、
「もっとすごい作品を作ってやろう」といつも以上に感性と脳みそを使い、
作品を全力で作る。

そして、全力で作られた作品を見て、
またほかの監督が刺激を受け、いつも以上に切磋琢磨するのだ。

それぞれの監督がお互いを刺激し、良作を作るものだから、
どんどん作品は良くなっていってインフレスパイラル(?)に入る。

全ての作品のレベルが上がっていくのだ。


逆に不作ばかりの映画が生まれる時もある。

つまらない映画を作ったのに、
素人の観客が宣伝にだまされて映画館に足を運ぶ。
興行的には成功するものだから、
プロデューサーたちは、このドル箱映画を絶賛する。

それを聞いたクリエイター達(監督、脚本、役者)は、
「こんなもんでいいのか?」と思ってしまい、
どうやれば、観客を騙せるキャッチーな映画を作ることが出来るのか、
市場を眺めながら売れ線を探し始める。

本人達が「作りたい」とか「世に生み出したい」というような情熱ではなく、
「お金を稼ぎたい」ということに情熱がそそがれ、
出来る限り「安い」「早い」「まずくない」作品が量産される。

「まずくない」映画は「うまくもない」。

そんな映画が世の中にあふれ出すとデフレスパイラルに入ったなと思う。


友人の何人かにバンドをやっていた子達がいて、
彼らがよく口にしていた言葉があった。
それは「いまの売れ線は・・・」ということだ。

気分で金髪にしたり、刺青を入れるようなやつらなのに、
ギターを握ると急に守銭奴のように現実的になり、
ステージから観客の顔色をうかがい始める。

そして自分達もなにがしら世の中の流れに乗るために
想いのこもっていない音楽をかっこつけて奏でるのだ。

現実世界ではいかにも「バンドマンですから」という理由を武器に
まじめに働かなかったり、反社会的な行動をとる割には、
ステージの上ではお行儀が良かったのである。

そして彼らはみんな「バンド活動」という名の「経済活動」を
次第にやめていき、もっと現実的にお金を稼ぐことが出来ることを
目指すようになった。


「芸術」という言葉がある。

僕はたまにブログで書いたりしている言葉だけども、
この言葉の意味をはっきりと理解しているわけではない。
でも、「芸術」という言葉はとても重要だと思っている。

「芸術」というのは「個人が、自分の考える美を追求すること」だと
僕は思っているのだが、
「美」を追求するときは、自分なりの「美」がないと追求できない。
つまり、自分の中にこういう作品を作りたいという理想像が存在しなければ、
それを現実世界に生み出したいという情熱も生まれないのだ。

だからクリエイターは、二つの作業をしなければならない。
まず第一は、「自分の理想像を頭の中で空想すること」。
第二は、「理想像を現実に作り出すこと。表現すること」。

例えば、素人の役者は笑う演技が下手な人が多い。
心から笑わなければいけないシーンで、
愛想笑いのようにしか笑えない。

この役者が心から笑う演技をしたいと思ったとする。
まず初めにやることは本気で笑っている人の表情を観察したり、
先輩役者の笑い方を観察したりして「こういう笑い方をしたい」という
自分の理想像を作り出すことだ。
これは、「自分の理想像を空想すること」にあたる。

そして鏡の前で何度も笑う練習するのだ。
自分の顔の筋肉の動きを意識し、
声の大きさや高低をいろいろ変えて試行錯誤しながら、
「心から笑う」を身に着けていく。
これは、「理想像を現実に作り出す」ということだ。

「芸術」が洗練されていくためには、
この過程をたどるしかない。
努力無しには「美」など生まれないのだ。
また「美」は個人によって異なるし、
個人の研ぎ澄まされた「美」は他人の心を動かすことができる。

僕はそう考える。


今の時代はあまりにも「お金儲け」という価値が強すぎて
いい映画が生まれない時代ではないだろうか?
プロではないクリエイターたちでさえ、
どうやってお金を稼ぐかということを優先的に考えながら、
表現を磨いている。

でも、本当に大切なことは、
「自分の理想像を作ること」と「理想像を実現すること」だと
僕は思っているのだけれど、
自分に向き合うよりも周りの顔をうかがいながら表現する人が
あまりにも多すぎて、これじゃあ名作は生まれないなって思うことがある。

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