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スラムドッグ$ミリオネア

スラムドッグ$ミリオネア
Slumdog Millionaire
2009年4月18日公開(日本)
監督 ダニー・ボイル
脚本 サイモン・ビューフォイ
原作 ヴィカス・スワラップ『ぼくと1ルピーの神様』
出演者 デーヴ・パテール、マドゥル・ミッタル

 

【鑑賞前】期待:☆☆☆☆

ゲオに足繁く通うようになって、
僕はこの作品のことが何度か気になって手にとることもあったが、
結局、いままで借りたことがなかった。

ジャケットに書かれたストーリーを読むと、
なんか面白そうなんだけど、
なんか詰まらなさそうだ。

とても複雑な気持ちになって、
棚に戻してしまっていたんだが、
1本50円祭りだったので、
割とすんなり借りてしまった。

アカデミー賞も獲っているわけだし、
詰まらなくはないよね?
大丈夫だよね?

【鑑賞後】評価:☆☆☆

うーん。なんなんだろう、このモヤモヤ感。

ただ自分が何でいままでこの映画を借りなかったのかは、
よくわかったし、やっぱりそうだったかと思った。

つまり「ミリオネア」というクイズ番組を
スラムの生活とマッチさせたことが、
僕は気に入らないのだ。

「設定ありき」の映画になっている。

もちろん「ミリオネア」を絡めたことで、
ストーリーは引き締まるし、
「なんでスラムの無教養な男の子がクイズに答えられるの?」
という疑問で観客を引っ張っていくことができる。
でも僕にとってこれが邪魔で仕方がない。

スラム街の中で生きる小さな兄弟と少女の話だけでは、
この映画は成立しなかったのだろうか。
スラム街の描写はとても面白かったんだけどな。

あとクライマックスが一番気に入らない。
これじゃあ、ただのおとぎ話だ。

主人公がマフィアの妾になっている少女に
「僕と一緒に逃げよう」と持ちかけるシーンがあって、
少女は「逃げてどうなるの?お金もないのに」と拒絶するんだが、
主人公は「愛がある」と答える。

当然、こんな答えで少女がついて来るわけがないと思いきや、
少女はマフィアから脱走して少年を追ってくるのだ。

脱走は失敗に終わってしまったのだが、
僕はこの二人がお金のない状態で一緒になって、
最後どうなるのか気になって仕方なかった。

でも残念ながらそうならなかった。

最終問題の「正解!」が、僕にとっては「不正解!」だった。
-------------------------
ここまで書いたあと、僕はいろいろなレビューを読んだ。

そして「あれ?」と思うところがあり、映画を見直したりしてみた。

つまり「It is written」が心に引っかかるのだ。

この映画はまず、以下の文が画面に現れる。

Jamal Malik is one question away from winning 20 million rupees.
How did he do it?

A. He cheated
B. He's lucky
C. He's a genius
D. It is written

字幕では大体こういう感じで訳されている。

どうやってジャマールは2000万ルピーを手に入れたのか?

A.インチキした
B.ツイていた
C.天才だった
D.運命だった

まず最初の違和感は「D.It is written」が
「運命だった」と訳されていたことだ。
僕の感覚だと「書かれていた」「筋書きだった」となる。

ネットで検索すると、「It is written」というのは、
聖書の中で、この言葉の後に神の言葉が続くようで、
「神の定めたこと」だから「運命」と訳されるのだそうだ。
だから字幕でも「運命」と訳されている。

しかし、映画の舞台はインドである。
ヒンドゥー教とイスラム教の対立シーンは出てくるが、
キリスト教は出てこない。

じゃあ、「筋書きだった」と訳すのが適当ではないだろうか?

僕はそう思ったのだが、「筋書き」とすれば、
誰がクイズ番組で連続正解する筋書きを書いたのだろうか?

当然、主人公のジャマールとなる。
(もちろん、「脚本家です。」「原作者です。」って答えもある。
 この場合は「ただの作り話ですから、テヘッ」って感じの解釈になる。)

ジャマールは自分で作った問題を自分で解いただけだから、
当然、全問正解することもできる。
また、問題が主人公のいままでの人生で知っているものばかり出ているという
ご都合主義的な違和感も、本人が問題を作ったということであれば、
まったく違和感はないのだ。

さらに言えば、「ミリオネア」にジャマールが出場しているということ自体、
ジャマール自身が「描いたもの」「想像」「妄想」に過ぎない。
ジャマールは実際には「ミリオネア」に出ていない。

では、どこまでがジャマールの現実かと言うと、
少女に会うためにマフィアのボスの豪邸に入っていったところまでだ。

少女とジャマールはそこで2つのことをする。
①放映されていた「ミリオネア」についての会話。
②午前5時に駅で少女が脱走してくるのを毎日待っているという約束。

①については、ジャマールが「どうしてみんなこの番組が好きなの?」と
少女に聞くわけだが、少女は「夢を見たいから」と答えている。
久々の再会の場面でテレビ番組のことを話すなんて不自然だと思ったが
ここで二人がこの会話をしないとジャマールが妄想してくれないのだ。

次に②だけども、約束をした次の日には少女が脱走してきた、
みたいな感じで僕ははじめ思ってしまったんだけども、
たぶん、少女はすぐに脱走できなかった。
そして、ジャマールは何日間も駅で彼女をひとり待ったのである。
彼女が脱走してきて、追っ手に捕まり、頬を切られるシーンは、
ジャマールの妄想だ。(あとでまた述べる)

そう。
ジャマールは駅で彼女が来るのを期待して、待っている間、
自分がもし「ミリオネア」に出場して、
全問正解2000万ルピーを手に入れることができたなら、
僕と彼女の運命(destiny)は変わるのだろうかと妄想してたのである。
警察に「不正をした」と詰問されるシーンもジャマールの妄想に過ぎない。

そう考えると、最後にジャマールと少女が出会うシーンは、
どういうことなのか?
少女の頬には確かにナイフで切られた傷があって、
ジャマールはその傷に優しくくちづけする。
頬に傷があるということは、途中に描かれた脱走が失敗に終わるシーンと
つながるわけだが、あのシーンは後付けに過ぎない。

ジャマールが少女の頬にキスすると、
回想のようなシーンが巻き戻しで再生される。
この「巻き戻し」をどう解釈するかが問題だが、
僕はジャマールの「妄想」が作られるシーンだと考えている。

現実では、
マフィアの豪邸で会った時以来、
二人は久々に会うのだが、
少女の頬には傷がついていた。
どうしてその傷がついたのか?
おそらくマフィアのボスにつけられたものなんだけど、
ジャマールは自分が「ミリオネア」に出場する妄想に付け加えたのだ。

そもそもラストのジャマールが、駅で柱にもたれて
座っているシーンは不自然じゃないか?
「ミリオネア」に出場して、インド中から注目されているはずの彼が、
駅で肩身狭そうに座っていて、誰も声をかけてこない。

2000万ルピーを手にした主人公が、そんなこじんまりとしているだろうか?

初めから2000万ルピーも手にしていないし、
テレビにも出ていないとすれば、
彼は一人寂しく駅の柱にもたれかかって、
彼女が来るのを待っていたとしてもおかしくない。

「ミリオネア」出演シーンは全部、主人公の妄想です。←これ

外国の映画を見る難しさは、舞台となっている国の文化を知らないことと、
比例している。

自分なりの解釈を書いてみたが、
英語もろくにできないから、
この解釈は妄想に過ぎない。

でも、これくらいの解釈をしないと、
あまりにもこの映画は面白くなさ過ぎるじゃないか。



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