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英国王のスピーチ

英国王のスピーチ
The King's Speech
公開 2011年2月26日(日本)
監督 トム・フーパー
脚本 デヴィッド・サイドラー
出演者 コリン・ファース、ヘレナ・ボナム=カーター


【鑑賞前】期待:★★★★★(特盛)

2、3ヶ月ほど前に知人から「面白そうですよ」と薦められた映画だ。

僕はその時、知人に、「どういうストーリーなの?」と聞いてみたのだが、
まだ見ていないようで内容について詳しくは知らないとのことだった。

「じゃあ、どういうところが面白そうだと思ったの?」と聞いてみたら、今度は、
「CMを見たら面白そうだったんです」という返事が返ってきた。

「じゃあ、CMのどういうところが面白そうだったの?」と聞くと、
「うまく説明できません」と言われた。

結局、面白さがわからなかった。

しかし偶然、この映画の予告編を目にして、僕も「面白そうだ」と思った。

「吃音症というコンプレックスを抱えた英国王が、
国民の前でうまく演説ができるように吃音症を治してくれる先生を雇うのだが、
この先生というのが英国王という身分を軽視し、
馬鹿にしたような態度で接してくるので、
英国王はイライラしてしまう。

しかし英国王には早く吃音症を克服しなければならない理由があった。
それはナチスの台頭だ。英国とドイツは戦争になりそうだった。
国王は演説によって、国民を勇気付け、団結させなければならないのだ。」

どうですか?
知人の説明よりも面白さが伝わったんじゃないでしょうか?




【鑑賞後】評価:★★★★(良)

☆を4つ上げたけど、実際は3.5。

四捨五入すれば☆☆☆☆だから、
こういう評価になった。

欠陥は二番煎じということと、エンディングにある。


◆吃音症とあがり症
僕は人前で話すのが苦手だ。

吃音症ではなく、「あがり症」という病だ。
学生のころはゼミなどで発表することが多々あったが、
原稿を用意しても、原稿を持った手がプルプル震えるものだから、
字をうまく読めなくて、読んでいる途中で頭が真っ白になる。

聞いている人が僕の言っていることを理解できているか確認しながら、
じっくりと自分の理論を展開していきたいのだが、
読み進めていくうちに緊張で周りの様子をうかがう余裕がなくなり、
自分自身でさえ自分の言っていることがわからなくって、
最後はテープレコーダーのようにただ原稿に書かれた文字を
読み進めるだけの状態になる。

発表している自分と聞いてくれているみんなとの間に大きな壁ができて、
僕はただ目に入った文字を読み上げるだけのマシーンになってしまう。

発表の前の一人予行練習では、
自分なりに手ごたえを感じているのだが、
いざ本番になると緊張で頭が真っ白になってしまうのだ。

でも、まあ僕みたいな庶民がこういう状態になっても、
ゼミの先生と学生が「?」という状態になるだけですむのだが、
一国の王様がこういう状態になってしまったのでは、
国の将来を揺るがす大問題になる。


◆言葉と身分
吃音症ではなく訛りを直すという映画は過去にも存在した。

『マイ・フェア・レディ』がこの分野では有名な作品だけど、
『マイ・フェア・レディ』の原作は『ピグマリオン』だ。

『ピグマリオン』では、高飛車な言語学者が、
花売りの田舎娘の訛ったしゃべり方を矯正して、
社交の場に出しても恥ずかしくないように調教する、
というお話で、最後は見下していた花売りの少女に
学者がどんどん惹かれていくという内容だったと思う。

『英国王のスピーチ』では教えられるほうも教えるほうも男なので
恋愛に発展することはないが、
『ピグマリオン』と同じように「身分」が違うことと「言葉」を扱うという点では
ストーリーは近いように思った。


「言葉」をちゃんとしゃべれるということは、
「お金をたくさん持っている」ということと同じくらい
人間社会では大切なことなのではないだろうか?

『エレファントマン』という映画がだいぶ昔に作られたのだが、
この作品では外見が醜いせいで人々から見下されている男が、
聖書の言葉を語り、美しい心を持っていることを知るようになって、
人々は彼のことが好きになっていくというお話だった。

「社会的地位」「お金」「外見」というのは、
社会の中で生きる上で「見せかけ」にしろとても大切なことなのだ。
「第一印象」が人々の好悪を判断する重要な鍵になる。

そして「言葉遣い」もこのグループと同じだ。
「言葉遣い」が美しいと「教養のある」人だと思われ、
シャネルをセンスよく着こなすのと同じような印象を
他人に与えることができるのだ。


◆エンディングについて
そういったことを加味して僕はこの映画のエンディングが嫌いだ。

ネタばれを承知の上で書くが、
この映画はこれから戦争が始まるという時に、
国民を鼓舞し、団結させるため、
吃音を克服しようとする英国王が演説をし、
吃音が出なかったことで「よかったね」というエンディングなのだ。

演説を終えると側近たちが王に「すごく良かった」と
言葉をかけるのだけど、見ていて僕は全然良いとは思えなかった。
吃音よりも英国の将来のほうが大切な問題だ。

側近が英国王を褒めている様子は
初めて自転車に乗れた子どもを褒めているようにしか見えない。

英国民の多くは戦争が始まることで、
これから「死」が待ち受けている。
英国王の演説ごときが上手にできたからといって
将来が暗いことは確定しているのだ。

自転車なんて一生乗れなくても何の問題もないし、
英国王が戦争が始まる前の演説で吃音だらけでも、
何の問題もない。

一番大切なことは、英国王が本当に心から国民のことを
想っているのかということだ。

自分の吃音の心配だけしているようにしか見えなかった。


口先だけの美辞麗句は時間がたつにつれ色あせてしまう。
言葉を発した者が本当に心から言葉を発したかは、
何年もかけて発言者の行動を見ていくことで、
徐々に判明していくものなのだ。

どんなに言葉が足らない人間であっても、
何年も一緒にいて「信頼できる」と思えれば、
吃音だろうがなんだろうが関係ない。

他人との信頼関係を築くためには第一印象という一瞬の判断ではなく、
長い時間が必要だ。


◆こんなエンディングを考えた
僕はこの映画のエンディングは、
『独裁者』でチャップリンが行ったような演説を期待した。

収録室の中で英国王が人が変わったように饒舌に演説し、
先生は英国王の迫力と国民を想う気持ちに感動して呆然としてしまう。

演説が終わった王は呆然とした先生の様子に気づき、
なにか言葉をかけようとするのだけど、
いつもの吃音が出てしまってうまく声をかけられない。

先生は正気に返るのだが、
嫌味に近いジョークを王に言ってしまうのだ。


史実とは違うかもしれないけど、
そういうエンディングが良かったなと思った。

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