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お葬式

お葬式
1984年11月17日公開
監督 伊丹十三
脚本 伊丹十三
出演者 山崎努、宮本信子


【鑑賞前】期待:☆☆☆

伊丹大先生の作品だ。

昔、見たことがあるんだけど、
ゲオのオススメコーナーに並んでいるのを見つけて、
話の内容を思い出せなかったので借りてみた。

どんなお話だったっけ?


【鑑賞後】評価:☆☆☆

儀式の中で一番重要なのがお葬式だ。

僕はそう思っている。

理由はいたって明快で、
一生の中で一度しか経験できないものだからだ。
まあ、経験するといっても儀式の主人公は死んでるわけだから、
経験したことにはならないかもしれない。

結婚式を「一生に一度しかない」と言う者もあるが、
それは建前上の話であって、
生きている限り何が起こるかわからない。
二度三度、結婚式をしたって不思議ではない。

そもそも儀式を行うことは人間にとってどういう意味があるんだろうか?

特にお葬式では、坊さんの長い読経や
家に入る前に塩をまいたりするわけだが、
そんなことをしてどういう意味があるのだろうか?

迷信や形式だらけだ。

でも儀式というのは形式だらけとはいえ、
ひとつひとつの行為に意味が付与されていたり、
感情を処理するために必要だったりする。

前々から思っていたのだけど、
お葬式というのは主人公である故人のためではなく、
残された者たちのために行うものではないだろうか?

残されたものは故人に対して悲しみや遺恨などいろいろな感情が
浮かんだり、芽生えたりしているものだが、
そういった感情を消し去ることが「お葬式」という儀式の持つ
重要な意味だと思う。

「死者を送り出す」という意味とともに、
残された者が「明日も死者への想いに囚われず過ごせるように」という
意味も含まれているはずだ。

まあ、そんなに難しく考える必要はないのかもしれない。

そういえば、二、三年ほど前、私の祖父が死に、
僕は東京からあわてて祖父の住んでいた愛知県に行った時のことである。

名古屋へ向かう新幹線は、豪雨のため浜松駅辺りで停車し、
通夜に遅れてしまったわけだが、
親族は「遠いところから良く来てくれたね」と僕を迎えてくれたのである。

僕は新幹線の中で飲んだビールで少し酔っていたのだが、
問題なく焼香を済ませ、親族らしい振る舞いをしていた。

通夜はセレモニーホールで行われたのだが、
翌日のお葬式に備え、親族が「寝ずの番」をする。
つまり、祖父の遺体と一緒に一夜を共にするわけだ。

親戚のおじさんがくれたお金で酒を買ってきて、
僕の家族と喪主のおじさんとで祖父の話などしながら、
飲んだくれていたわけである。

深夜0時を過ぎるとみんな疲れて眠ってしまって、
僕だけが起きていた。

一人でお酒を飲むことに慣れているのだけれど、
部屋で飲むのと違って、やることがない。
僕は退屈になって、棺おけの蓋を開けて、
祖父の死に顔を肴に酒を飲んだり、
セレモニーホールの中を歩き回ったり、
置いてあった葬式に使うであろう道具を手にとって振り回したりしていた。

僕自身は少し眠たくなっていたのだけれど、
母から「線香の煙を目印にして故人は天国へ向かう」という話を
聞いていたものだから、
線香が消えないように「寝ずの番」をしなければならないという
使命感があった。

三時間ほどで燃え尽きる線香を燃え尽きる直前に
別の線香に取り替える。
僕はみんなが寝てしまった後も、祖父が天国にいけるよう
燃え尽きそうな線香を新しい線香に変えていたのである。

使命感に燃えていたものの午前5時ごろになると
さすがに眠気に襲われて耐えられそうにない。
線香はあと1時間くらいで燃え尽きそうなのだが、
1時間も目覚めている自信がなかった。

僕は悩みに悩んだ挙句、
とんでもなく天才的な発想をしたのである。

線香をもう一本立てておけばいいじゃない!

燃えている線香はあと一時間で燃え尽きたとしても、
いまから新しい線香に火をつければ三時間もつはずである。
三時間経った午前8時には誰か目を覚ましているだろう。
そしたら新しい線香を立ててくれるに違いない。
祖父も天国への道に迷わないはずだ。

僕は燃えている線香の横に、
新しい線香に火を付け、立てて、安心して眠りについた。

翌朝、僕の予想通り母が早起きしたことで
線香の煙は絶やされることは無かった。

安心してみんなで朝食を食べていると、
母が僕に話しかけてくる。

「親戚のおばちゃんがお葬式に詳しくてね、こんなこと言っとったわ。
 線香を二本立てると煙が二手に分かれるから、
 故人がどっちに行けばいいのかわからなくなって迷子になるんやって」

僕の箸が止まった。
額から冷や汗が流れてくる。
「ああ、おじいちゃん、ごめんなさい。」
と、心の中でつぶやいた。

僕は線香を二本立てたことを誰にも言わずに帰京した。

まあ、迷信といえば迷信でしょ?
死んだ後の世界なんて誰も知らないんだから。
でも、ただの迷信で済ませられないような気持ちがあって、
これが儀式のパワーなんだと思った。

よくわからない儀式。
でも、なんか意味があるような気がして仕方が無い。

ちなみに「寝ずの番」をしていた夜に振り回して遊んでいた坊さんの道具を
坊さんが葬式の本番で振り回し始めた時も焦って冷や汗が出た。
ただの飾りだと思っていた木の棒を、
祖父の遺影の前でお経を唱えながら「えい!」って坊さんが振っていた。

「その棒は僕が昨晩、意味もわからず、バットの代わりに素振りしていた棒です」

映画の中でも「お葬式」は悲しみに浸るよりも、
式をあげるための準備に追われる親族の様子が描かれている。
お葬式での「常套句」をビデオで見て覚えたり、
線香の立て方をみんなで予行練習したり。
お葬式ってそういうものなのかもね。

この映画は、
お葬式の「How to 本」みたいになっているところがちょっと残念だ。


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